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ライター くーちゃん

2016.6.13

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ベース1本、魂の歌。

ベース1本での弾き語り、聴いたことありますか?

ナカヤヒデキ、38歳。
(以下、ナカヤさんと呼ばせてもらいますね)
初めてライブを観たのは、昨年の夏。脳梗塞の一歩手前という症状のために入院していたナカヤさんが復活した直後のライブでした。
そんな節目の時期だということももちろんあったのでしょうが、私は大きな衝撃を受けました。大げさでなく、新しい世界を知ったような。

まずね、ベース1本で歌うって、えっと、それはどんな音楽なの?どんなステージになるの? そう思う人が多いでしょ。

ナカヤさんの音楽は、まさに魂の叫びだと言いたい!
ステージに立つのは、たった一人。声とベース、もしくは、ハーモニカとベース。それだけなのに力強いグルーヴがうねり襲ってきて、いつしかナカヤさんの世界に引き込まれる。
ナカヤさんは汗をぼたぼた落として歌う、叫ぶ。

ナカヤさんが歌うのは、病床で書いたという曲、亡くなった友達のことを書いた曲、東日本大震災で被災した友達を思って書いた曲、一度は音楽をやめようと思ったナカヤさんの決意が込められた曲、……。

格好つけた表面上の言葉はひとつもないんです。だからこそ、スマートじゃないからこそ、ズドンと落ちてくるんです。もともとハードコアバンドのボーカルだったナカヤさんの、マイクいらないんじゃないかと思うくらい力強い声に、心をえぐられながら聴き入ってしまう。

生きることって、命を削ること。
ナカヤさんの歌を聴くとそう思うんです。

それでもナカヤさんは言います。
曲が終わるとふっと表情を和らげて、お客さんの心を見透かしたかのように。

「歌詞が重い?でもね、どれもラブソングなんだよ」

GWの隙間にあたる5/6(金)、池下GURU×GURUでのライブ後にナカヤさんとお話してきました。

――ナカヤさんは、もともとハードコアバンドのボーカルだったんですよね。一人で、ベースだけでやっていくことになった経緯を教えてもらえますか?

「sunya(シューニャ)ってバンドを、23歳から30歳までやってたんだ。僕がベースボーカルでリーダー、あとギターボーカルとドラムの3人。メンバーの仲がうまくいかなくなって解散したんだけど……そのときもう音楽はやめようと思った。それで3年くらい音楽活動は何もしなかった」

――何も、ですか。そんなナカヤさんがやっぱり音楽をやろうと思い直したのは、何かきっかけになる出来事があったんですか?

「うん、そのときのことは今でもはっきり覚えてる。2010年9月、友達がやってるバンドのライブを観たあと、タバコ吸うためにビルの屋上に行ったんだ。そこにいたのは、それぞれ別のバンドやってる友達ばっかりで、気づいたらセッションが始まった。楽器は友達が吹いてたハーモニカだけで、あとはペットボトルとかアルミ缶でね。僕は割り箸でアルミ缶をたたきながら、ボーカル担当。まぁ、みんな酔っぱらってたよね(笑)。すごく楽しくてさ、自然にフレーズが出てきたんだ。♪夏の終わりに雑居ビルの~屋上で~、って。これがライブでラストにやることが多い曲『夏の終わりに』が生まれた瞬間。幸せな空間だったな。やっぱり僕は音楽が好きなんだって自覚して、ステージにもう一度立ちたい、バンドをやりたい、と思った」

――バンドを、やろうと思ったのですか。

「そう、はじめはね。そのつもりだった。曲をつくって、バンドメンバーを募集して、って動き始めてたところ、2011年3月11日、東日本大震災が起きた。僕はシューニャをやってたときにライブで日本各地をまわってたから仙台にも友達が多くて……みんな無事だったって確認できるまでの数日間は気が気じゃなかった。日本は混乱してたし、僕も何かしたいと思った。そしたら2011年5月、震災チャリティーイベントに出てほしいって声を掛けられたんだ。バンドメンバーがまだ決まってないから無理だって断ろうとしたんだけど、ベース1本でもいいから、って強く誘われて。それじゃ今回だけ、ってことで一人でステージに立ったんだ」

――それまでベース1本で人前で歌ったことはなかったんですよね?そのイベンターさんはなぜそこまで強く、ナカヤさんに出演を依頼してきたんでしょう?

「シューニャでの僕を知ってくれていたからというのもあるし、被災地に対する思いをお互いに共有していて、共感してたからだね」

――同じ思いを持った人たちでつくりあげたい、そう願うイベンターさんにナカヤさんの歌が必要だったのですね。それで、その日は何を歌ったんですか?

「東日本大震災の直後に書いた『鐘を鳴らせ』『地震のうた』『手紙』の3曲だよ」

――すでに3曲つくっていたのですね!その後も震災チャリティーライブをたくさん行ったと聞きました。投げ銭と称してすべて被災地の義援金にしていたとか。

「それ誰に聞いたの(笑)。でもうん、そうだね。もうなくなっちゃったけどHUCK FINN FACTORYっていうバーで歌って、チケット代なしで投げ銭にして。そこで集まったお金は全部、被災地に送ってた。お客さんには言ってないんだけど、その方が気張らなくていいでしょ。僕は被災地への思いを綴った曲を歌う、それを聴いて投げ入れてくれたお金は被災した人たちへの思いとして、被災地に送る。それを続けてた」

――そして、“ナカヤヒデキ”としてライブイベントに誘われることが多くなったんですね。

「ありがたいことに、たくさんの出演依頼をもらえるようになった。でもさ、その震災チャリティーイベント以来“ナカヤヒデキ”として活動しながらも、バンド構想はまだ続いてたんだ。だからさっき話した『夏の終わりに』も封印してた。屋上でみんなでセッションした空間で生まれた曲だから、バンドでやる曲だって思ってたんだ。でもなかなかバンドメンバーが固まらなくて……。半年くらい経った頃からバンドでやることをあきらめ始めて、もう一人でやっちゃえ!って。『夏の終わりに』はそれまで断片的にしかできてなかったんだけど、曲を完成させて一人で歌うようになった。アコースティックの世界に一人で殴り込みにいく気持ちだったな。それで2012年は72本、2013年は85本、日本各地に呼んでもらって歌った」

――ライブ本数、すごく多いですね!“ナカヤヒデキ”から新しいつながりが広がったことはもちろん、3年間音楽活動をしていなかったのに、シューニャの頃にできた仲間とのつながりが消えてなかったということでもありますね。

「嬉しいことだよね!ほぼ毎週末、ライブするために日本各地を飛びまわって、音源もたくさん買ってもらえた」

――仲間に求められて、お客さんに受け入れられて、“ナカヤヒデキ”が誕生したんだなと、つくづく思います。それからずっと一人でやってきたんですか?

「いや、実はね、その後バンドバージョンもやれる状況が整って、2013年~2014年は“ナカヤヒデキ”の合間に“ナカヤヒデキ&OLD ROOKIE”ってバンドでも活動してた。でもさ、しばらくしてバンドメンバーに言われたんだ。「どんなけ手数増やそうが、どんなけ音数増やそうが、ナカヤヒデキ一人には勝てない」って。それで辞めてった。それぞれ自分のバンドも持ってるメンバーだったから無理を言えなかったし、僕はやっとバンドができたことが嬉しかったから、すごくへこんだんだ……。でも、バンドメンバーは僕が“ナカヤヒデキ”一人でやってるステージを先に見てたからそう言ったわけで、前向きな提案だったんだよね。すごくあったかい言葉をくれた。だから、一人でやってやんぜ!って覚悟を決めた」

――先に“ナカヤヒデキ”としてステージに立っていて、すでにスタイルが確立していた。それをバンドメンバーが気づかせてくれたのですね。そのあとナカヤさんは、2014年8月に体の異変に気づいて音楽活動を中止、その直後に脳梗塞の一歩手前という症状で入院して、2015年8月に復活、ときています。なぜそのまま走り続けさせてくれなかったのか…と思ってしまいます。

「僕は、導かれた、と思ってるよ。心臓に異変を感じて、それを気にしながら歌うのはお客さんに失礼だと思って休止した。そのあとすぐに強い症状が出て、病院で検査中に倒れて。数分後にすぐ点滴打ってもらえたから助かったんだ」

――そうだったんですか。命が助かって、後遺症もなくまた元のように歌っている今は、奇跡的だと言えることだったんですね。
ナカヤさんの曲づくりに関しても聞かせてください。入院する前は震災の他にも、シューニャ元メンバーの自殺、親交のあったバンドのメンバーの突然死など、悲しい出来事がたくさんあったんですよね。そしてそれをナカヤさんは曲にして歌っています。

「曲ができるときは一瞬なんだ。大きい出来事があって曲が生まれたときは、すぐタブレットにメロディを吹き込んだり、紙に書き留めたりしてる。何もなくてもふとした瞬間に感じたことを書き留めてるよ。瞬間の積み重ねを、日々感じてるんだ。そうやって曲をつくるとき、僕は陰に入ってる。誰かと一緒にいても、曲をつくるときは一人。それは家族も恋人も入れない世界だし、僕自身もそうなったときの自分をどこか外から見てるような感覚がある。カタカナの“ナカヤヒデキ”は、僕であって僕じゃないみたいな。そうしてできた曲はさ、ライブ中にも言ったようにどれもラブソング、前向きな曲なんだ。悲しいことやつらいことがたくさんあったし、曲をつくるときは陰に入るんだけど、それを陽に、光に変えられるのがステージだから」

――ナカヤさんは、心の動きが音楽になって昇華されるのですね。だから聴く方は、剥き出しの言葉に心をえぐられながらも生きることについて考えさせられる。そういう曲の後、ラストに聴く『夏の終わりに』は格別です。

「『夏の終わりに』は、音楽をまた始めようと決めた、そのときの集大成だからね。この曲で勝負してやるんだ!っていう当時の強い気持ちがあるんだけど、でもだからこそ、歌い続けているからこそ思うのは、今はこの曲を書いたときとは別のところにいる、ってこと。それにね、面白いと思うのは、ライブ後にお客さんと話すと、この曲を好きだって言ってくれる人は多いんだけど、感想や受け止め方はみんな違うんだ。でも、それでいい」

――曲はそれぞれ違う人生と出会って、それぞれ違う感動が生まれる。だからナカヤさんも変わりゆく気持ちでこの曲を歌い続けるのですね。

「あとね、これは裏話なんだけど、『夏の終わりに』が完成したのはOLEDICKFOGGY(オールディックフォギー)のおかげもあるんだ。震災前に初めてライブを観て、すごく衝撃を受けた。それでシャッフルのリズムを知って、曲づくりに取り入れた」

――なんと!ここでオールディックフォギーが出てくるとは意外でした。大好きな人たちがこんなふうにリンクしてるって、なんだか勝手に嬉しくなっちゃいます。あとですね、ナカヤさん、今日のライブでやった何曲かはまだ音源になってないですよね。早く新譜出してください!

「フルアルバム出すよ。まだレコーディングしてないけど(笑)。音源になってない曲が、あと20曲以上あるんだ。ライブで歌ったことない曲もいっぱいあるよ」

――そんなにあるんですか!早くレコーディングしてくださいよー。ライブでも新曲やってくれるの楽しみにしてます!

「ライブの予定もどんどん入ってるから、ぜひまた来てよ!」

はいぃぃぃー!!
ということで、まだまだ話し足りないもどかしさを残し、終電の時間が迫っていた私はGURU×GURUを後にしたのでした。

ちなみにこの日、私は仕事後に駆けつけたのですが、GURU×GURUではアルコールだけでなく美味しいごはんも食べられるので、お腹も心も満たされて帰路につくことができましたよ。カレーライスが激うまだったので、次回はナカヤさんおすすめのパスタを食べようかと思ってます。

というわけで。ナカヤさんの今後のスケジュールはこちら。
このコラムの最後に紹介するブログやFacebookでも随時更新されるのでチェックしてみてくださいね。私はまたGURU×GURU行きたいなー。

■ナカヤヒデキ ワンマンLIVE
6/19(日)@福井Bar jake

■6/25(土)@新栄DAYTRIVE/TRIM

■GURU×GURU 2DAYS!!!
7/23(土)@池下GURU×GURU
7/24(日)@池下GURU×GURU「ナカヤヒデキ企画」

最後に、私が心えぐられ背中を押される、ナカヤさんの歌詞を一部分だけ紹介させてください。大人になるって、世間体がどうこうじゃなくて、過去の一生懸命だった自分に恥ずかしくないように手を伸ばすことをやめないことなんだろう、私はそうありたいなと、この曲を聴くたびに思います。

本当は僕は別の道を別の答えを
探したかったのかもしれない
きっとその方が言い訳にもできただろうし
多分格好もつけたかったんだろうな
恥は格好つけようとするからかくんだと
教えてもらったあの頃の自分に
今の俺は答えを胸を張って答えを
言えるかなぁ

夏の終わりに屋上で
僕は決めたんだ

『夏の終わりに』より

動画も紹介します。このライブは私も観てましたが、『夏の終わりに』から始まってます。その後にビール乾杯してこぼれちゃって……というくだりもナカヤさんの人柄が出ててほっこりするので、お時間許す限り観てみてくださいー。ライブ丸ごとの贅沢動画です。でも生はやはり感動の深みが違うのでね!ぜひライブにも足を運んでみてください!

2016-01-16~狂宴~@本郷アルマジロ ナカヤヒデキ

今回のご紹介アーティスト
ナカヤ ヒデキ
BLOG:http://blog.goo.ne.jp/nakayahideki
FACEBOOK:www.facebook.com/ナカヤヒデキ-634183213379638/

ライブハウスの客 くーちゃんのTwitter
@Kuu_sideB

Photo by 永縄貴士

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