COLUMN シーンの中にいる人たちの言葉

STAY CRAZY/FOREVER LOVE

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村上友哉(明日、照らす/さよならパリス)

明日、照らすとさよならパリスで9割作詞作曲をし、ギターを弾きながら歌を歌う人。夢は「ミュージシャン初、デラべっぴんでコラムを連載する事」だったが、雑誌の廃刊に伴い、新しい夢を模索している途中との事。

2017.3.13

BLINK 182/村上友哉(明日、照らす)

知り合いのスタジオに何かの届け物をしに出かけた日のこと。
簡易なレコーディングもやっていたそのスタジオで、
その日はパンクロックバンドのレコーディングがあったみたいで、
お店の知り合いの店長からは
「レコーディングしてたらちょっと気まずいかも。
別日でもいいよ。」
と言われていたが、
日程的にその日しかなかったので、
「パンクって言ってもバンドマンだから、
悪い人なんかいないし、
大丈夫でしょう。」
と別に気にしていなかった。
当日、
スタジオに行き、
「お疲れ様でーす。」
とロビーの扉を開けると
椅子に並んで座っていた
パンクロック風の男達5.6人が僕を見ていた。
レコーディングの休憩中だったんだろうか。
メンバーの風貌と雰囲気を見て、
「ただ直接的に言わなかっただけで、
あの人が言いたかったのは、
「今日はやめといた方がいいよ。」
ってことだったんだな。」
と瞬時に察知する。
おそらく僕よりも10歳は年上で
髪の毛は逆立てているか、
長く伸ばしっぱなしにしており、
腕には刺青を入れ、
もれなく全員革ジャンを着ている。
何よりもなぜか目の前の僕を
全員が睨みつけていて、
不自然にならないように視線を外しながら、
「こんな人達、
普段仕事したり、
バイトできたりするの?
生活どうしてんの?」
と疑問で仕方なかった。
そんな中、
バンドのリーダー格であろう
一際人相の悪い1人が
いきなり僕に向かって、
「なんや?お前?」
と吐き捨てるように言った。
あまりに突然過ぎてまた面食らう。

「あ、あの、
店長さんはいらっしゃいますか?」

「店長は、」

「…はい?」

「死んだよ。」

「えっ?」

「あーはっははは!」

「…。」

「ひーはっはっは!」

「…。」

1人の「死んだよ。」の一言を皮切りに
全員が信じられないくらい笑い出した。
今、
目の前で起きている光景は何なのか、
何が起きているのか一瞬分からなかった。
「あっ、ともやじゃん。」
と言われて振り返ると
知り合いの店長がいて、
すぐに届け物を渡すと
「ちょっと用事がありますんで。」
と脇目も振らずに帰った。
もちろん用事なんて何もない。
ただこの場をすぐに立ち去りたかった。
帰り道、
トボトボと歩きながらずっと考え事をしていた。
「あれが本当にパンクなのか?」
10代から今の今まで
僕がずっと大切にしてきたことが
全て否定されたような
そんな気分だった。

16歳の高校1年生の時、
クラスの同級生だった道久(みちひさ)と知り合った。
クラスで僕がギターを弾いていることを知った彼が
ある日突然、
「村上くんってギター弾けるんだよね?
俺もギター弾くんだよ。
普段、何を聴いているの?」
と僕に話し掛けてきた。
「ゆずとか19とかそういうのだよ。
道久くんは?」
と聞くと
「洋楽が多いかな?」
と言われた。
あの頃はまだ洋楽なんて未知の世界だった。
当時、
ちょうど映画『アルマゲドン』が流行っていて、
主題歌である
エアロスミスの『I DON’T WANT TO MISS A THING』が
テレビやラジオでよく流れていたので、
「いい曲だなあ。」
とラジオから流れてきた曲をカセットテープに録音して、
たまに聴いていた程度で、
そこから深く掘り下げたり、
他の曲を聴く機会もなかった。
周りに誰も洋楽を聴いている友達も知り合いもいなかったので、
自然とそういう話題になることもなく、
そこで僕の興味は終わっていた。
「エアロスミスとかくらいしか分からんなあ。」
と答えると道久は
「洋楽のCDとかPVとか色々あるから今度うちに遊びにおいでよ。」
と僕を誘ってくれた。
それからしばらく経ったある日、
僕の家から自転車で30分くらい離れていた
隣町の道久の家に遊びに行った。
彼の家は当時、
かなり老朽化した古民家ではあったが、
元々昔は何かの工場だった間取りの分、
信じられないくらい広く、
道久の部屋は親の部屋とは独立した
2階で10畳くらいのスペースにあった。
いくら音を大きくしても別に怒られたりしないらしい。
僕の家では親との取り決めで、
夜の21時以降はギターを弾く事を禁止されていた。
彼の部屋に入ると
山ほどのCDにビデオ、
テレビ、
レコードプレーヤー、
エレキギターとアンプ、
色んなバンドのポスターが部屋中に貼ってあり、
僕の部屋にはない物がたくさんあった。
「まあまあ座ってよ。」
辺りをただキョロキョロしている僕に
道久はそう言うと
スペースシャワーの洋楽チャンネルで
流れていたPVをVHSに録画した
彼自作のPV集を見せてくれた。
まず最初に当時彼がハマっていたマリリン・マンソンの
『The Beautiful People』のPVが
ブラウン管から流れる。
「…!」
衝撃その1。
歌がいいとか悪いとか、
それすらよく分からない。
まず白塗りした男がクネクネ動いていて、
普通に気持ち悪い。
というか、
これは歌なのか何なのかよく分からない。
感想が言えずに
どうしようもなく困っていると
次にLIMP BIZKIT『Nookie』のPVが続く。
「……!?」
衝撃その2。
英語のラップを初めて聴いたから、
何を言ってるのかよく分からないけど、
ライブ感のあるPVが
曲の良さを引き立てていて、
なんかめちゃくちゃかっこいい気がする。
てかベースとかギターの弦が多くないか?
「なんかすごいね。
よく分からないけどかっこいいねー。
なんか弦多くない?
てかこの人、
ニューヨークヤンキースの赤い帽子がトレードマークなの?」
そんな話をしていると
GREEN DAY『Redundant』のPVが流れた。
「………!!」
衝撃その3。
てかバンドが変わる毎に衝撃的過ぎて、
ついていけない。
ただこのバンド、
めちゃくちゃキャッチーだし、
鼻歌で口ずさみたくなるくらいメロディがいい。
というか他のバンドと違って、
メンバーが3人しかいなくてギター弾きながら歌ってる。
この前Mステで見たトライセラトプス以外にもこういうバンドがいたんだ。
「これ、なんてバンドなの?」
と曲の途中で思わず聞くと
「GREEN DAYだよ。」
と教えてくれた。

「グリーンデイ!これが1番好きだなあ。」

「ともやはパンクが好きなんだね。」

「パンク?」

「グリーンデイはパンクだよ。」

「パンクって革ジャン着たり、
髪の毛逆立てたりしてるやつ?」

「そういうのもあるけど、
こういう普通の身なりの人がやってるパンクもあるよ。
歌ってるビリーはこう見えて、
ライブ中ツバ吐きまくるし、
楽器も壊すし結構めちゃくちゃやるよ。」

「へー。こんな普通の感じなのにね。」

ステージでツバを吐いている人を見た事がないし、
楽器を壊すバンドも
昔バリバリの衣装を決めた
hideがMステで壊しているのを観た事があったくらいだったので、
このTシャツとジーパンの普通の身なりの3人組からは到底想像がつかない。
そういえばあの時テレビを観ながら、
お袋は目を背け、
親父が
「自分の商売道具も大事にできん奴はろくでもない奴だ!」
とテレビの中のhideに向かって怒っていて、
僕も
「勿体無いことする人がいるんだなあ。」
と思いながら観ていた。
楽器を壊す=パンクなのであれば、
村上家には全く理解がなかったので、
僕が「パンク好き」だと言われても
ピンとこなかった。

それから何度か道久の家に通うようになり、
「GREEN DAYが好きだったらこういうのも好きかも。」
とそんな中で出会ったのがBLINK 182だった。
トム、マーク、トラヴィス。
僕はアルバム『エニマ・オブ・アメリカ』で
1曲目の『Dumpweed』を聴いた瞬間から
このバンドの虜になった。
どこにでもいそうなアメリカ人3人組が
誰でもやれそうなシンプルな曲を
誰もやってなかった方法論で音楽を作っている。
とにかくリズムのパターンと
ギターのリフが独特で、
ちゃんと3人で始まって3人で終わっているのに
曲毎に違う発想があって飽きることがなかった。
もちろん当時、
そこまで難しいことは考えてなかったと思うが、
多分そんな印象だった気がする。
またアルバムの歌詞を読むと
「初めてのデートのこの時間が終わらなきゃいいのにな」とか、
「両親は何にも分かってくれないんだ」
みたいな10代のあるある要素が強い
身近な出来事ばかりで、
そこもまた共感できた。
身近とはいっても
ゆずや19のような分かりやすい歌詞ではなく、
アメリカ人特有のユーモアのある
ワードのセンスが面白かった。
「…か、かっこいい!俺もバンドがやりたい!」
こうやって
世界中の同年代が熱狂したように
僕もBLINK 182の洗礼を受けた。

「俺、
今度またバンド組もうと思ってるんだけど、
ともやも一緒にやらない?
ちょうどドラムが空いてるんだけど、
ドラムとかどうかな?」

道久は地元・一宮市のライブバーで
中学生にして、
ライブをやったことがあった。
ライブハウスでライブをするなんて
文化祭で友達とゆずの『夏色』を弾き語りしただけの
僕からすると
違う世界の出来事のような話だった。
BLINK 182を聴いてからは、
トラヴィスに憧れていた僕は
二つ返事でそのバンドにドラムとして入ることになり、
「今度、メンバーのベースを紹介するよ。」
と言われて出会ったのが、
道久の中学の同級生の伴だった。

大学1年生で初めて行った
サマーソニックでBLINK 182を初めて観た時のことを
昨日のことのように覚えている。
BLINK 182が決まった瞬間、
道久とたつや(CRAZY興業/小中高の同級生)とチケットを買うことを決め、
新幹線に乗るお金がないので、
近鉄の在来線を乗り継いで大阪に向かった。
「せっかくだから。」と
2日間の通し券でチケットを買っていたが、
2日目がBLINK 182だったので、
1日目が終わった後、
泊まる当てがなく、
近くの電話ボックスでタウンページを開いて、
近隣のカプセルホテルに手当たり次第電話をし、
サマーソニックの会場から
少し離れた場所のカプセルホテルに泊まった。
カプセルホテルのロビーには
ほとんどの人が
サマーソニックのパスをつけている人ばかりで、
勝手に親近感が湧いて、
何だか嬉しかった。
そんな中、
お風呂上がりにたまたま座ってると
隣にいたお兄さんに
「何を観にきたはったんですか?」
といきなり声を掛けられた。
戸惑いながらも
「ブ、BLINK 182です。」
と答えると
「あーブリンク!
でもZEBRAHEADと被っててどっち行こうか迷ってたんですよね。」
と言われ、
「嘘だろ!?
BLINK観ない人がいるんだ!
8年ぶりの来日なのに!」
と心の底から驚いた。
次の日になり、
お昼が過ぎて、
前の方を陣取っていると
転換で
金色に輝くトラヴィスのドラムセットが出てきた。
それだけのことでフロア中から歓声をあがり、
僕もため息まじりに大声を出しながら
日本にいる誰しもが
この瞬間はどれほど待ち望んでいたか、
あの光景だけで気持ちは同じなんだと確信できた。
スタッフの長いサウンドチェックが終わり、
メンバーが出てきた時には
歓声は一際大きくなり、
今自分の目の前にメンバーがいることが信じられなかった。
イメージよりも3人とも一回り大きい。
メンバーが出てくるなり、
隣にいた同い年くらいの
きっと留学生か
ホームステイだと思うが、
白人の男の子がいて、
その隣にいた同い年くらいの日本人の男の子が肩車をし始め、
白人の男の子が
「STAY TOGETHER FOR THE KIDSー!」
とステージへ向かって叫び出して、
僕も道久に肩車をしてもらい、
Tシャツを捲り上げて
朝カプセルホテルで道久に
トラヴィスのタトゥーを真似て
マッキーで書いてもらった
お腹のラジカセの絵を
トラヴィスに向かって見せ、
「トラヴィスー!ルック!ルックディス!」
と負けじと叫んでいた。
一曲目は『Family Reunion』という
短いジョークソングだった。
そこがまたBLINK 182らしかった。
ライブが始まると
トラヴィスは腕が何本あっても足りないような
ドラムフレーズを連発し、
トムが卑猥なダンスで客席を挑発して、
マークもステージを走り回り、
瞬きが惜しいくらい
ずっと目が離せなかった。
トムが
『STAY TOGETHER FOR THE KIDS』
のイントロを弾いた瞬間、
周りを見渡したが揉みくちゃになっていたので、
叫んでいた白人の男の子は見つけられなかった。
その日、
新曲『Go』をやり、
MCで新しいアルバムのレコーディングに入ってることを話していて、
アルバムが出たらまたツアーで来てくれるんだと思うと
顔がにやけてたまらなかった。
今でもたまにバカにされるが、
この時のサマーソニックのヘッドライナーはBLURとRADIOHEADで、
僕たちは帰り道、
混むのが嫌で2組とも観なかった。
ほとんど興味がなかったし、
BLINKさえ観れたらあとはどうでも良かった。
それくらい好きだった。
BLINK 182がいなかったら、
多分僕はバンドをやっていなかったと思うし、
今でもディスクユニオンでパンクコーナーから
見に行くほど
パンクへのめり込むこともなかったと思っている。

パンクの歴史から考えると
小さなトピックではあるが
BLINK 182は
BLINK 182前、
BLINK 182後と分けられるくらい
2000年代の
一つの時代のアイコンになっていて、
これはいい意味ではなく、
オールドスクールのパンクファンからすると
「BLINK 182の出現でパンクがチャラくなった。
あれはパンクじゃない。」
とも言われている。
そもそもジャンルでいうと
BLINK 182はパンクではなくて、
そこから派生したポップパンクになるので、
パンクで分けるのもまた違うとは思うが、
確かにBLINK 182以降は同じようなバンドが
山ほどいて、
毎週のように
ポップパンクバンドのCDが
CDショップの店頭に新作として並んでいたし、
毎月日本のどこかで
ポップパンクバンドの来日公演があった。
そういった現象を世間では、
モールパンク(ショッピングモールで買えるような安物のパンク)と揶揄され、
常にバカにされていた。
当時はこの評価に対し、
かなり腹立たしさを感じていたが、
今多少大人になって振り返ると確かにそうかもなとも思える。
社会的で政治的な不満もなければ、
戦争や世間に問題を訴えかける曲でもなく、
ただ恋人のことや生活の中にある出来事を
下ネタやジョークを交えて
ポップなメロディーに乗せて歌う、
そんなものは
アウトローの精神を基盤に持つ
パンクでも何でもないと言われたら仕方がない。
でも
身勝手な解釈だと思うが、
当時はグランジブームの後で、
ポップパンクの出現は必然だった気がする。
僕たちの世代は
先駆者達が戦い、
勝ち得た権利のおかげで、
社会に噛みつくほどの不満を抱けるほど、
社会に不満を持っていなかった。
そしてあの頃の10代20代には
将来への漠然とした苦しみや過去のトラウマを歌う
一聴しても難解な暗く重いトーンの音楽が
ちょっとずつ身の丈に合わなくなっていた。
そんな時代を象徴していたのが、
ポップパンクであり、
僕が出会った最初のパンクでもあった。
高島屋や松坂屋で買えるような高価なものには
手が出ず、
また魅力も感じられず、
身近で価格帯もお手頃なショッピングモールの存在が
世間で必要とされてきたように
その時代にはその時代を生きる人たちの生活があり、
その時代にはその時代を生きる人たちの音楽があって、
その時代に必要とされるパンクがある。
解釈は人それぞれだと思うが、
僕は別にそれでいいと思う。

ただそれを踏まえた上で
言わしてもらうが、
あの時に会ったお前らが
もし本当のパンクなんだったら、
俺はパンクなんかもう二度と聴かない。
部屋にあるCDもレコードも全部売ってやるよ。
嘘じゃない。
誓ってもいい。
そもそもお前らは根本が間違ってる。
ただ革ジャンを着て、
人を邪険にしたり、
堕落した生活を送ることがパンクだと思ってる以上は、
お前らなんか所詮パンクロック風止まりだよ。
シド・ヴィシャスのコスプレイヤーの集い。
つかお前らが1人でも俺に同じ態度が取れたんか?
電車ではしゃぐ中高生じゃないんだからさ。
仲間で群れて、
パンクに甘えてんじゃねーよ。
安物のパンクに
お前らから成り下がってどうすんだって。
10代ならまだしも、
いい歳していい加減それくらい分かれよ。
そうやって一生、
身内ノリで死ぬまで音楽やってろ。

追記
今更、
僕なりのパンク生誕40周年に向けたお祝いコメントでした。
写真は実家の部屋に貼ってあるポスターです。
当然8億円の価値はありませんが、
思い入れがあり過ぎて、
これ1枚さえ燃やせない僕は
まだまだあまちゃんですね。
(もちろん右側ね。)

明日、照らすのインフォメーションはコチラ
http://asstellus.com/

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