COLUMN シーンの中にいる人たちの言葉

STAY CRAZY/FOREVER LOVE

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村上友哉(明日、照らす/さよならパリス)

明日、照らすとさよならパリスで9割作詞作曲をし、ギターを弾きながら歌を歌う人。夢は「ミュージシャン初、デラべっぴんでコラムを連載する事」だったが、雑誌の廃刊に伴い、新しい夢を模索している途中との事。

2017.3.16

番外編 『村上政雄について』/村上友哉(明日、照らす)

あれからもう4年くらい経つんだなあ。

当時、
僕は大学2年生で、
ものすごくいきがった19歳だった。
何か分からないけど、
自分は人にはない
力があると思っていたし、
周りの奴はみんなバカだと思っていた。
JPOPなんか最低で、
洋楽がいかに素晴らしいかを毎日考えていた日々。
思い出すだけで死にたくなる
誰もが経験する10代最後の年。
今でも昨日の事のように鮮明に覚えている。
だから多分、
ばあちゃんに電話した時、
「じいちゃんは?」
と今でも言いかけるんだろう。

じいちゃんがそろそろ危ない。
という話になったのは、
たしか10月くらいだったと思う。
それまでもなんとか持ちこたえてきたが、
胃から発生した癌の転移がもう手遅れで、
胃を切ったもののあと数カ月の命だと言われた。
その時、
なんて医療っていうのは、
不確かな物なんだろうと思ったのを覚えてる。
切らなきゃ分からないなんて、
頭の輪切りまで見れる時代なのに。

ますます家の中はもうぐちゃぐちゃになり、
親父は親戚と揉め、
お袋は滋賀の病院と愛知の往復で、
姉は看護士二年目で自分で精一杯だったし、
りょうじも高校三年生だったので
そんな頻繁に行き来できなかった。
そこにきて僕は気楽なもので、
大学2年のあってないような時間の中、
ふらふらと大学にも行かず
たまに滋賀に行って、
じいちゃんに会う為にもらったお金で、
米原でうどんを食べたり、
路地の路地くらいの道に入っては
定食屋を探したりしていた。
生まれてきてすいません。

あの日もたしか休み過ぎて
休みになった講義の日、
じいちゃんに会いに行ったんだった。
胃を切り取られてから、
別人のようにめっきり元気もなくて、
抗がん剤治療はしなかったので、
まだましだったが
姿も昔の面影がなくなっていた。

さっきちらっと触れたが、
親戚と親父が揉めた理由はここにあって、
僕の姉と親父の弟の奥さんは看護士で、
選択として抗がん剤は当然だった。
可能性があるのならば、
それに賭けるという考え方。
しかし、
親父はまったく違って
薬の副作用でのたうち回り、
毛という毛も抜けるような
辛い思いをして
長生きするくらいなら、
そのままの方がいいという考え方だった。
結局、
本人の意思はという事になり、
抗がん剤は使わない事になった。
そういえば親父が言ってたんだけど、
何十年も三菱でエレベーターを作ってたから、
考え方がだめなら終わりにして、
また次にいくって感じなんだって。
多分、
不器用な親父なりの優しさだと思う。

あの時、
話す話もだんだんなくなってきて、
僕はぼんやり窓から外を眺めていた。
ばあちゃんは花瓶の水を変えながら、
別に二人が黙ってるのを
気にしてないみたいだったけど、
僕は内心、
次は何を話そうか、
頭をフル回転して必死だった。
すると、
普段は無口のじいちゃんが珍しく話し出した。

「とも、
最近バンドはどうだ?」

僕は驚いた。
そんな話、
じいちゃんからするなんて思ってなかったし、
興味もないだろうと思ってたから。

「うん、まあまあだよ。
前に比べたら徐々によくなってきたかなあ。」

と言い終わらないくらいのタイミングで
ばあちゃんが、

「まあ、ある程度のところできりつけなきゃね。
それじゃ生活できないんだからね。」
と言われた。

「お前はちょっと黙ってろ。」
じいちゃんが突然怒った。

「とも、
もしお前がこれからバンドを続けてくなら、
必ず何があってもまじめにやるんだぞ。
まじめにちゃんとやっていたら、
見てる人は見てるんだからな。
それだけは絶対忘れたらいかんぞ。」

「…う、うん、分かった。
あ、ありがとう。」

そして
何事もなかったかのように、
また無言が続き、
じいちゃんは寝てしまった。

それから次に会った時、
じいちゃんは呼吸器をつけていて、
言葉は一言も話せなかった。

あれが僕への遺言。
まじめ一本に生きてきたじいちゃんが出した答え。

じいちゃん、
俺、
言われたようにまじめにやってるよ。
女の子もたぶらかしたりしないし、
つまんない因縁つけたりしてないよ。

だからさ、
あんなクズバンドより
多くの人前で歌えるようになるかなあ。

あの時、
突然過ぎてちゃんと言えなかったんだけど、
本当にありがとう。
俺があげた俺のバンドのステッカー、
なくさないようにいつも見える場所に
置いててくれたの俺
今更、
気がついたよ。

2008年08月19日16:28
mixiにて書いていた日記より

追記
滋賀のばあちゃんの話を書いたので、
じいちゃんの話も。
今でも僕の生きる上でど真ん中にある日のお話。
確かに幼稚なところもあるけど、
このエピソードについては
今書き直したところで、
この勢いと熱量にはたどり着けませんでした。
写真は書いた当時の私。
毛量、どうなってんの?

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