COLUMN シーンの中にいる人たちの言葉

STAY CRAZY/FOREVER LOVE

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村上友哉(明日、照らす/さよならパリス)

明日、照らすとさよならパリスで9割作詞作曲をし、ギターを弾きながら歌を歌う人。夢は「ミュージシャン初、デラべっぴんでコラムを連載する事」だったが、雑誌の廃刊に伴い、新しい夢を模索している途中との事。

2016.7.19

『スーパー』と『キックアス』/村上友哉(明日、照らす/さよならパリス)

彼女は何でも知っていた。
厳密に言うと
僕が知らないことを
「人間ってそんなにメモリーにキャパがあるのか?」
と疑いたくなるほど、
彼女は映画、漫画、アニメ、音楽、小説、絵画に浮世絵、
本当にありとあらゆるカルチャーを網羅している。
そんな印象だった。
ただもしかするとあの時、
僕が知らなさすぎるだけだったのかもしれない。
一度何の機会だったか、
2人で美術館に浮世絵を見に行ったことがあった。
彼女と美術館に行くのは二度目で、
その前はチェコのアニメーションの展覧会だった。
浮世絵をちゃんと観るのは初めてだったし、
もちろんあの時もチェコのアニメーションを観たのは初めてだった。
両日共にそれなりには楽しかったが、
今では両日共に
それが誰の展覧会だったのか
全く思い出せないほど、
正直、
そこまで興味は持てなかった。
帰り道、
「何で浮世絵に興味を持ったんですか?」
と聞くと
本当に文字通り目を丸くして驚きながら、
「音楽とかやってて、
逆に浮世絵に興味が湧かないの?」
と不思議そうに聞き返された。
今では
「それは個人差あるでしょ!?」
と答えられる気もするが、
あの時は
「僕は音楽をやっていて、
浮世絵になぜ興味が持てなかったのか。」
と深く考え、
次の日、
早速
『すぐに分かる浮世絵』
という雑誌を買ったが、
結局パラパラとめくっただけで、
そのあとは一度も開いていない。
あの時はただ彼女に会えるのが嬉しかったし、
僕よりも年がだいぶ上だった彼女が
何を好きなのか知りたかっただけで、
内容は正直どうでも良かったんだと思う。
これが恋だったのかどうかは今でも分からない。
ただただ彼女の存在や発言にいつも憧れていた。

浮世絵の展覧会の帰り道にコメダ珈琲店に寄って、
2人で最近観た映画の話していた。
シロノワールを食べたことがないと言っていたので、
1つ頼むと端っこだけかじって、
「こんな甘いもの食べられない。
名古屋の人は甘党なんだね。」
と言われたので残りは僕が食べた。
そういえば
彼女はいつもコーヒーで、
僕はサイダーを頼んでいた。
ウェイターが飲み物を持ってくる時、
大体、
彼女の方にサイダーが行き、
僕の方にコーヒーが来て、
まずそれを交換するのが喫茶店で過ごす最初の儀式だった。

「私は『スーパー』の方が好きだったな。
『キックアス』は何が面白いのか分からなかった。」

正直に話すと
この時点で僕は『スーパー』も『キックアス』も知らなかった。
でもおそらく映画業界では常識レベルで、
相当話題になっていることは
彼女の話しぶりからすぐに分かった。
さっき浮世絵にすら興味が持てない男のレッテルを貼られた手前、
ここでまた変なことを言うと
目を丸くして
「音楽をやっていて…」
と言われるかもしれない。
そんな危機を感じた僕は
とりあえず
「へー、そうなんですねー。」
と答え、
小さな声で
「まだ観れてないなあ。」
と付け足しておいた。
「知らなかったのではなく、
観てなかったんです。」
そう見えるようにわざと聞こえるか聞こえないくらいの声で呟く。
たまに彼女の前で使う手だった。
今までこういうことは何度かあったが、
彼女はいつもそれ以上は追求してこなかった。
年上としていつもそういう大人な対応をしてくれた。
早速、
次の日近所のゲオで『スーパー』を借りに行った。
『キックアス』は探したけど、
どこにもなかった。
後々調べると『キックアス』はツタヤでしか日本はレンタルがないみたいで、
近所にはツタヤがなかったので、
日を改めて隣町のツタヤまで借りに行った。

この2作品の最大の特徴は
年齢設定が違うだけで、
確かに同じようなキャラクターが主人公だった。
平たく話すと
何の特殊能力もない一般人男性がある日突然ヒーローになり、
街の悪に立ち向かう話。
『スーパー』は中年、
『キックアス』は高校生。
誰もが憧れるヒーロー物の映画ではあったが
特殊能力がない分、
街のチンピラやドラックディーラーなど
敵は今までのヒーロー物の映画にはない地味な相手で、
映画館の列に割り込んだチンピラをパイプレンチで殴ったり、
おたくに絡むヤンキーに警棒で立ち向かっていったり、
そんなマーベルヒーロー的な映画というよりは、
かなりコミック要素の強い映画だった。
ただ2作品とも
同じ様なキャラクターではあったが、
話の作り方や内容は全く違った。
『スーパー』はかなり内面的なストーリーが中心となっていて、
独特のどこか陰湿な空気があり、
暴力描写も過激で、
何度も顔をしかめたくなるような話なのに対して、
『キックアス』は
音楽やテンポ感におしゃれなセンスがあって、
話も割とライトな内容だったので、
多少の暴力描写が平気なのであれば、
娯楽映画として誰が観ても楽しめると思う。
この2つの作品を観て感じた差は
監督を知って理由がはっきりと分かった。
『スーパー』を監督したジェームス・ガンは
元々B級映画製作会社のトロマエンターテイメント出身で、
『悪魔の毒々モンスター』シリーズを始め、
殺人鬼、障害者、差別、偏見などの普通はコメディに入れてもエッセンス程度に入れる題材を
平気でスプラッター要素満載に
山盛り詰め込んだどうしようもない作品が多い中、
『キックアス』監督のマシュー・ヴォーンは
マドンナの元旦那で『スナッチ』などのオシャレなクライム映画を得意とした
ガイ・リッチー監督のプロデューサーとして元々は活動していた。
ガイ・リッチーのプロデューサーと言われると
それだけで映画界ではおそらく
東京ガールズコレクションの総合プロデューサー級のおしゃれな印象がある。
監督の違いで
『スーパー』の暴力描写のエグさも
『キックアス』の音楽のセンスとテンポの良さも納得がいく。
そんな出処は全く異なった2作品だが
公開時期と設定がかなり近かったので、
世間一般的にかなり比較の対象になったみたいで、
世間的にも『キックアス』の方が人気が高かったし、
僕も圧倒的に『キックアス』の方が好きだった。
むしろ『スーパー』はどこが面白いのか分からなかった。
ただ見てるだけで痛くて、
全体的にグロテスクな映画にしか見えなかった。
「『キックアス』が面白くないなんて
映画通ぶりたくて、
ちょっと無理してるんじゃないか?」
とさえ思ったほどの圧勝。
それから何度か会ったが、
もちろん彼女にそう思ったことは言わなかった。

もう彼女とは今では会っていない。
自由奔放で何を考えているのか
いつもよく分からない彼女に僕もついていけなかったし、
最初は兄弟よりも年下で
何も知らない僕が新鮮で楽しかったかも知れないが、
途中からはついていけなくなった僕と
一緒にいても楽しくなかったんじゃないかと思う。
何より知識もあり、
容姿も綺麗だった彼女と自分が釣り合うとは思えなかった。
そんな負い目が最後まで消えなかった。
自分が知らないことをよく知っている彼女が好きだった。
話しているだけでよく分からなくても嬉しかった。
だけど結局、
自分が知らないことをよく知っている
イコール
自分が今まで興味を持たなかったことを知っているだけであって、
性格自体は合わなかったと思う。
おそらく18歳くらいで自分の好みは決まる。
そこから掘り下げたり、
広げたりはできるが、
根っこにある部分はなかなか変えられない。
今僕が打ち込みの音楽を好んで聴けるは
くるりの『TEAM ROCK』を聴いていたからだろうし、
今かたっぱしから観ている
80年代の映画や
ジョン・ヒューズ映画が好きなのも
高校生の時から大好きなケヴィン・スミス監督が影響を受けているからであって、
思い返してみると
僕自身の根本的な部分は18歳の頃から何も変わっていない。
彼女は小さい頃から絵を描くのが好きだった。
だから浮世絵も好きになれたし、
チェコのアニメーションも好きになれた。
それだけのことだと思う。
そもそも
観てない映画を観てないと答えられないような、
観たとしても素直に感想が言えないような、
そんな背伸びをしないと付き合えない関係では、
どのみち長くは続かなかったと思う。

この間、
『スーパー』をゲオで見かけて、
ラストシーンの記憶が全くなかったので、
久々に借りてみた。

妻のサラがドラックにハマり、
ドラックディーラーにサラを奪われた夫フランクが
ある日たまたま見ていたテレビ番組から
突然、神の啓示を受け、
「選ばれた人間」として
正義の味方・クリムゾンボルトとなり、
最終的にドラックディーラーから
なんとかサラの連れ戻しに成功する。
ただ
それから少しの間は一緒に暮らすが、
結局サラはまた出て行ってしまった。
しがない街の食堂のコックとして働くフランクに
美しく頭のいいサラが妻として不釣り合いなことも、
結局いつかはこうなる運命だったことも本当は分かっていた。
それから
サラは大学に通い、
人類学を学び、
新しい夫と出会って、
子宝に恵まれる。
ドラック依存の経験を経て、
後遺症に苦しむ人や新しい夫を
魅力的な人柄で次々と幸せにしていくサラ。
あの日以来、
二度と神からの啓示を受けなかったフランク。
映画のクライマックス、
彼女の子供たちから送られてきた
絵手紙を見て、
フランクは1人で悟った。

「自分が選ばれた人間だと思っていたが、
本当に選ばれた人間はサラだったんだ。
だから彼女を僕が救う必要があった。
何より
あの時、
僕が戦わなかったらこの子たちは
この世界に生まれてこれなかったのだから。」

ある意味で
バッドエンドとして捉えられてもおかしくない
ラストシーンではあったが、
光をふんだんに入れた明るい映像と
シガーロス風の優しい空気感のある爽やかな音楽で
ジェームス・ガンが本当に伝えたかった
主人公の心情が伝わってきた。
ヒーローだけがヒーローの訳ではなかった。
ヒーローが世界の誰かを救うのは、
その人がまた世界の誰かを救う為であって、
ヒーローはそのサイクルの中にいるだけに過ぎない。
そして
いつの日か巡り巡って
そのヒーローもまた
フランクのように自分が救った世界の誰かに救われる日が来るのだろう。
憧れも同じ解釈ができると思う。
世界の誰かに憧れて始まった何かが
また別の誰かの憧れに変わり、
巡り巡って自分の元へ帰ってくる。
彼女との出会いは
きっと僕にとってその始まりだった。

今年で31歳。
知らない間に
出会った時の彼女と同じくらいの歳に
僕もなっていた。
時間は掛かったが知らない間に
この映画の素晴らしさが
ようやく染みる歳になれたことが嬉しかった。

「僕は『スーパー』も『キックアス』も好きだった。」

もしいつかまた会えたらそう伝えるつもりでいる。

追記
ここまで僕が変なサブカル風になったのは、
単純にこの人の影響です。
少しでも対等に話せるようになりたくて、
あの時とにかく観て聴いて読みまくりました。
英語を学ぶには
外国人の恋人と付き合うことが手っ取り早いとよく言いますが、
サブカルチャーを学ぶには
サブカル女子もしくは
サブカル男子と恋すると手っ取り早いと思うよ。

明日、照らすのインフォメーションはコチラ
http://asstellus.com/

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